友近が母の「魔法の引き出し」を引き継ぐ…父親・本名やケガの後遺症は?元彼と別れた理由や結婚
友近さんのプロフィール
友近さんの本名は友近由紀子(ともちか ゆきこ)です。
1973年8月2日に愛媛県松山市で生まれました。
血液型はB型、身長は157cm前後とされています。
愛称は「ともちー」。
吉本興業とエージェント契約を結び、個人事務所を拠点に活動しています。
ものまねやコントを得意とし、女優や演歌歌手としての顔も持つマルチな才能の持ち主です。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 本名 | 友近由紀子 |
| 生年月日 | 1973年8月2日 |
| 出身地 | 愛媛県松山市 |
| 血液型 | B型 |
| 身長 | 約157cm |
| 所属 | 個人事務所(吉本興業エージェント契約) |
特技は料理やものまね、歌、創作ダンスなど多岐にわたります。
大映ドラマを語ることにも定評があり、細やかな人間観察から生まれるキャラクターが人気の秘密です。
出身地と学歴、幼少期の様子
友近さんは愛媛県松山市市坪北の出身です。
地元では「友近」という名字が比較的多い地域でもあります。
小学校は松山市立石井小学校を卒業しました。
中学校は松山市立南中学校、高校は松山東雲高等学校に進学しています。
大学は松山東雲女子大学人文学部を卒業しました。
女子校で過ごした学生時代は、友人たちとふざけ合うことが多かったそうです。
幼少期からお笑いが大好きで、3歳年上の姉と一緒にアドリブのミニコントやものまねをして遊んでいました。
姉と作ったコントが原点で、「笑いの感覚の答え合わせ」をしたかったと語っています。
『花王名人劇場』を見て「自分もモノマネで有名になりたい」と思ったのがきっかけの一つです。
人見知りな面もありましたが、姉の前では自由に表現できたといいます。
観察眼が鋭く、子どもの頃から人をよく観察し、好きなもの・苦手なものを冷静に分かっていたそうです。
実家の近所は田んぼや空き地が多く、学校から帰ると缶蹴りをしたり、道路にチョークでかかしを描いたりして遊んでいました。
犬の散歩ついでに田んぼで歌を歌ったり、一人で全役者をする「一人ドラマ」を上演したり。
観客は犬だったといいます。
習い事としては習字やそろばんを経験。
書道は6段の資格を持っています。
歌が得意で、14歳のときに毎日放送の「全国ジュニア歌謡選抜」で優勝した経験もあります。
高校ではテニス部に所属し、放課後は部活中心。
休み時間は歌やものまねで友達と盛り上がっていました。
黒板消しを掃除する機械の音がバイクのふかし音に似ていると気づき、休み時間に友達を誘って「ちょっとツーリング行こう!」とエアバイク遊びをしたエピソードも。
卒業アルバムの集合写真では、事前に「無罪」と書いた半紙を仕込んで掲げ、先生にもバレずに写り込ませたそうです。
習字の時間も大喜利のように「なんて書いたらおもろいか」と競い合っていました。
友達の「お笑い偏差値」が非常に高く、今もLINEグループでつながっているといいます。
影響を受けた番組は『オレたちひょうきん族』や『元気が出るテレビ』、大映ドラマの実録もの、『土曜ワイド劇場』など。
大学時代に学生レポーターを始め、卒業後は道後温泉の旅館で仲居をしながら兼業。
二時間サスペンスの温泉シリーズが好きで「事件が起きないか」と期待して就職したそうです。
素人として出演したものまねがきっかけで本格的にレポーターとなり、観光スポット紹介やスタジオ進行を務めました。
| 時期 | 内容 |
|---|---|
| 小学校 | 松山市立石井小学校 |
| 中学校 | 松山市立南中学校 |
| 高校 | 松山東雲高等学校(テニス部) |
| 大学 | 松山東雲女子大学人文学部 |
| 幼少期 | 姉とアドリブコント、田んぼで一人ドラマ |
26歳で大阪NSC23期生として入学し、本格的に芸人の道を歩み始めました。
父親や家族の絆
友近さんの父は2016年に72歳で他界しています。
地元のJAに40年間勤め、元JA全農愛媛県本部本部長を務めた人物です。
学生時代から極真空手を続け、師範代の肩書きも持っていました。
正義感が強く、人が好きで、同僚や後輩を家に招いて一緒に騒ぐような明るい性格だったそうです。
コントのキャラクター「西尾一男」そのままの、強烈に面白く何でもやりたがる人。
吉本の芸人仲間との公演でお客さんからの質問コーナーに真っ先に手を挙げるほどでした。
家では亭主関白で、夫婦喧嘩も絶えなかったといいます。
当初はお笑いの道に「先の見えない世界はあかん」と猛反対。
大学時代にNSCを志したときも諦めざるを得ませんでした。
しかし26歳でNSCに入り芸人として歩み始めると、誰よりも応援してくれました。
出演番組はすべて録画し、雑誌や新聞の記事をスクラップ。
娘の写真を懐に忍ばせ「これ、うちの娘や」と警察手帳のように見せてはご近所に自慢していたそうです。
まめな性格で「元気か?」「たまにはみんなで旅行をしよう」と頻繁に手紙をくれましたが、当時の友近さんは面倒くさがってあまり返事をしませんでした。
『あさが来た』出演中にステージ4の肺がんが見つかり、余命半年と宣告。
最終収録日の前日に他界し、収録を終えて実家に戻るとすでに息を引き取っていました。
電話口で息をする声を聞いたのが最後の会話。
葬儀では小学校入学前の姪が、父が揃えた真新しいランドセル姿で最後のお見送りをしたエピソードが忘れられないといいます。
亡くなる3年前からエンディングノートを用意し、葬儀場の名前から喪主、規模、BGMまで細かく書いてあったため、スムーズに執り行えました。
ノートには子どもの頃からの思い出や趣味も綴られ、「映画は『マッドマックス2』が好きだった」など知らなかった一面を知ることができたそうです。
このノートは後に「西尾一男」のネタにもなりました。
母は友近千鶴さん。
占い師やアーティスト、フラワーアレンジメントの指導者として活躍し、地元で「アトリエ・ピエロ」を主宰していました。
2011年から南海放送のラジオ番組「友近ママの魔法の引き出し」のプレゼンターを務め、温かなトークでリスナーに親しまれてきました。
2026年7月27日に逝去。
友近さんは「母は人としゃべることが大好きで、ラジオをライフワークとしていました」と振り返っています。
姉が一人おり、幼少期から仲が良い姉妹です。
父が他界してからは「おとん、見とるやろ」と感じ、肩の力が抜けたといいます。
実家の仏壇に手を合わせては「今日はこんな仕事が面白かった」と報告する日々。
生前より今の方がたくさんしゃべっている気がするそうです。
自身の葬儀では遺影を3人分(自分、西尾一男、水谷千重子)飾りたいと考えています。
| 家族 | 詳細 |
|---|---|
| 父 | 2016年他界。JA勤務40年、極真空手師範代 |
| 母 | 友近千鶴。占い師・アーティスト・ラジオパーソナリティ |
| 姉 | 3歳年上。コントの原点 |
家族の絆は強く、年に1回はハワイへ家族旅行に出かけ、なじみのホテルでゆったり過ごすのが定番でした。
母の「魔法の引き出し」を引き継ぐ
母が15年近く続けた「友近ママの魔法の引き出し」は、スポンサーゲストを迎え、心の引き出しを開けていく温かい番組でした。
千鶴さんの死去に伴い、2026年8月1日に最終回を迎えました。
その枠を友近さんが新番組「友近ママの娘の魔法の引出し段取りします。」として引き継ぐことが発表されました。
「無言の遺言だと勝手に捉えて、私友近が、母が大切にしていたラジオを引き継ぎさせていただきます」とのコメントを寄せています。
母から直接頼まれたわけではないものの、ライフワークだったラジオを大切にしたいという思いが伝わります。
初回は公開生放送でスタートし、ファンからも「母の思いを継いで」と温かい声が寄せられています。
ケガの後遺症について
2026年の夏頃、友近さんは沖縄で左足をケガしました。
夜の段差で転倒したのが原因とされています。
ねんざと診断され、エコー検査で骨がはがれる剥離骨折が複数箇所あることがわかりました。
全治1カ月程度と伝えられましたが、個人差があるため慎重に経過を見ています。
後遺症として、足の色が青くなったりむくみが出たりする症状が残っています。
きれいな歩行はまだ難しい状態でしたが、徐々にリハビリを進め、治る兆しが見えてきたと報告していました。
母の入院時期と重なり、東京と愛媛を行き来する中で負担がかかったこともあったようです。
過去にも撮影であぜ道を歩き続けて捻挫し、包帯を巻いて舞台に立った経験があります。
| ケガの内容 | 詳細 |
|---|---|
| 場所 | 左足 |
| 診断 | ねんざ・剥離骨折 |
| 後遺症 | 青あざ・むくみ、歩行のしづらさ |
| 経過 | リハビリ中、徐々に回復の兆し |
ラジオ番組でも状況を説明し、ファンに心配をかけないよう丁寧に伝えていました。
元彼と別れた理由と馴れ初め、結婚観
友近さんの元彼として知られるのが、お笑いタレントのなだぎ武さんです。
約6〜8年の交際期間があり、2006年頃に熱愛が報じられました。
馴れ初めは仕事での共演。
なだぎ武さんと同期のお笑いコンビ「バッファロー吾郎」のイベントなどで意気投合し、交際が始まったとされています。
笑いの感性が似ていたことがきっかけの一つだったようです。
二人は「ディラン&キャサリン」というコントユニットとしても活動し、公私ともに注目を集めました。
両親も公認の仲で、結婚が近いと噂された時期もありました。
2010年3月頃に破局が明らかになりました。
本人たちは「円満破局」と説明しています。
理由は多忙によるすれ違い。
仕事場では会うものの、プライベートでのデートがほとんどなくなり、1年ほど会わない日々が続いたそうです。
「互いに愛想を尽かせたわけではない」「夫婦みたいな感じだったけど、タイミングの問題」と友近さんは語っています。
別れ話はホテルの部屋で静かに交わされたといいます。
一部報道で浮気疑惑が取り沙汰されたこともありましたが、本人たちは否定。
破局後も仕事で共演し、関係は良好を保っています。
破局後、結婚観にも変化が見られました。
2010年の取材では「2〜3年後には子どもを産んでおきたい」「仕事が第一だけど支障は出ないと思う」と語り、大きな部屋のある新居に引っ越し、家事もするようになったそうです。
2013年には5歳年上の一般男性との交際が報じられ、相手がベトナム駐在となった遠距離恋愛中も「結婚します、します」と笑顔で答えていました。
2014年には「尊敬して信頼している人と生活を共にすること。こんなに幸せなことはないだろう」と結婚を肯定的に語り、「子どもができたらYouTube限定芸人に」との構想も明かしています。
2015年には「ちょっと分かんないっすよ」「子供はほしいです」とけむに巻く発言も。
水谷千重子の口を借りて「その話もう飽きたって」と代弁される場面もありました。
最近のインタビューでは「恋愛とか結婚ですか? 今は興味がないんです。日々、戦ってるうちにエネルギーがそっちに流れなくなったのかも」と、仕事への情熱を優先する姿勢を見せています。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 元彼 | なだぎ武さん |
| 交際期間 | 約6〜8年 |
| 馴れ初め | 仕事での共演・意気投合 |
| 破局理由 | 多忙によるすれ違い(円満) |
| 破局後 | 共演継続、関係良好。結婚観は時期により変化 |
その後も友近さんは私生活を大きく公表せず、仕事に専念する姿勢を貫いています。
まとめ
友近さんは母の「魔法の引き出し」を引き継ぎ、新たな一歩を踏み出しています。
父のユニークな人柄や母の温かな活動、家族の支えが、現在の多才な活躍の土台になっているようです。
本名の由紀子さんとしての素顔や、ケガの後遺症を乗り越えながらの活動、元彼との円満な別れ方、結婚への思いの変遷も、ファンにとっては親しみを感じる部分でしょう。
愛媛を大切にしながら、全国で活躍を続ける友近さん。
これからも母の思いを胸に、ラジオや舞台、テレビで多彩な表現を見せてくれるはずです。
家族の絆と人間観察の深さが、彼女の魅力の源なのかもしれません。
「人生一度きり。やりたいことをやっていきましょう!」という自身の言葉通り、これからもその道を歩み続ける姿に注目が集まります。
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