楠田枝里子と見城徹結婚しなかった真相と医者の弟の関係 現在も変わらない魅力の素はチョコレート?

楠田枝里子さんのプロフィール

楠田枝里子さんは1952年1月12日、三重県伊勢市古市に生まれました。

血液型はA型、身長は170cmの長身で、やぎ座です。

三重県立伊勢高等学校を経て、東京理科大学理学部第一部応用化学科を卒業しています。

1974年に日本テレビにアナウンサーとして入社し、同期には松永二三男さんや小池裕美子さんがいました。

1981年秋に退社してフリーとなり、以降は司会者、エッセイスト、翻訳家、サイエンスライター、そしてチョコレート研究家として活躍を続けています。

日本ペンクラブ会員でもあり、独身を貫いています。

 

 

項目内容
生年月日1952年1月12日
出身地三重県伊勢市
学歴東京理科大学理学部第一部応用化学科
身長・血液型170cm・A型
職歴日本テレビアナウンサー(1974〜1981年)→フリー
配偶者独身(未婚)

 

幼少期と家族の影響

伊勢の地で育った楠田枝里子さんの家庭は、芸術と学問の香りが漂う環境でした。

父親は日曜画家で、家にはたくさんの画集がありました。

その影響で幼い頃から絵を描くことが大好きになり、美術への感性を自然と育んでいきました。

母親は栄養学の講師で、愛情深くアクティブな人柄でした。

小さい頃から絵本をたくさん与えられ、読み聞かせも上手だった母親の影響で、絵本への愛着が深まりました。

後に自ら絵本を作り、子どもたちへの読み聞かせ活動を行ったのも、完全に母親の影響だと語っています。

幼稚園の頃からクラシックバレエを習い、当時の夢はバレリーナでした。

7歳下の弟は心優しく真面目な性格で、夏の暑い日に並んで昼寝をしたとき、タオルケットを蹴飛ばして寝ていた姉にそっとかけてくれたエピソードが残っています。

大学進学で伊勢を離れ上京したとき、弟はまだ小学生でした。

その弟は後に外科医となり、多くの人命を救う医者として活躍しています。

 

家族特徴
父親日曜画家、画集の多い環境を提供
母親栄養学の講師、絵本の読み聞かせ上手
外科医、心優しく真面目

 

学生時代からアナウンサーへの道

理科系の才能を活かし東京理科大学で応用化学を学んだ楠田枝里子さんは、卒業後すぐに日本テレビの門を叩きました。

入社後は『おしゃれ』の司会などで注目を集め、知的で洗練された印象を視聴者に強く残しました。

1981年に退社してフリーになると、『なるほど!ザ・ワールド』の司会で一気に全国区の人気者となります。

海外情報番組の先駆けとなったこの番組をはじめ、『世界まる見え!テレビ特捜部』では19年にわたって司会を務め、視聴者に親しまれました。

『FNS歌謡祭』や『24時間テレビ』など、大型番組の顔としても活躍し、芳村真理さんの後任としても抜擢されました。

科学エッセイや翻訳、絵本創作など多岐にわたる執筆活動も並行し、サイエンスライターとしての顔も確立していきます。

 

見城徹氏との14年にわたる交際と馴れ初め

楠田枝里子さんの私生活で最も注目を集めたのが、幻冬舎代表取締役社長の見城徹氏との関係です。

見城徹氏は1950年12月29日生まれで、静岡県清水市出身、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、廣済堂を経て角川書店に入社した編集者出身の実業家です。

二人はお互い独身のまま約14年間交際を続けました。

見城徹氏が角川書店時代に特に週刊誌に激写されることが多く、自身が34、35歳頃が最も撮影された時期だったと回想しています。

『FRIDAY』などの誌面に二人の姿がたびたび掲載され、会社に記者が押し寄せる状況が続きました。

見城徹氏は「悪いなあ」という気持ちから、そのたびに当時の社長・角川春樹さんのところに辞表を持って行ったといいます。

角川春樹さんは「なんでこんなもん出さなきゃいけないんだよ」と投げ返したそうで、見城徹氏は「それってかっこよかった」と後年語っています。

不倫ではなく普通の熱愛だったにもかかわらず、世間の騒ぎが会社に迷惑をかけることを気にかけていた姿が印象的です。

馴れ初めの詳細は公に多く語られていませんが、出版界とテレビ界という華やかな世界で自然と接点が生まれ、長い交際に至ったとされています。

 

結婚しなかった真相

14年もの長い交際を続けながら、なぜ結婚に至らなかったのか。

これが多くの人が抱く疑問です。

楠田枝里子さん自身は、結婚の必要性を感じたことがないと明言しています。

若い頃から結婚願望はなく、「人を愛することに契約書は要らない」との考えを持っていました。

2017年に『ビビット』で年齢を初めて公にし、同時に独身を貫く理由をこのように語って話題となりました。

見城徹氏との関係も、互いの仕事への情熱や価値観を尊重する形で続いたものの、最終的に籍を入れる選択には至らなかったようです。

世間の注目が強すぎたことや、それぞれのキャリアを優先したことも背景にあるとみられます。

見城徹氏が近年のラジオでこの交際を振り返った際も、温かい思い出として語っており、後味の悪い破局ではなかったことがうかがえます。

 

項目内容
交際期間約14年
関係性お互い独身の熱愛
結婚しなかった理由結婚の必要性を感じない、契約書不要の愛の価値観
週刊誌の影響激写が多く、見城徹氏が辞表を提出するほど

 

医者の弟との関係

楠田枝里子さんにとって家族の存在は大きな支えです。

特に弟は外科医として活躍し、姉を陰ながら支えてきました。

肋骨にひびが入った際に電話で症状を聞き、バストバンドを送ってくれたエピソードもあります。

弟の奥さんがお菓子を送ってくれるなど、家族ぐるみの交流も続いています。

心優しく真面目な性格は幼少期から変わらず、多くの命を救う医師としての道を歩んでいる姿に、楠田枝里子さんも誇りを感じているようです。

上京後も距離は離れていても、精神的な絆は強く保たれていることが伺えます。

 

現在も変わらない魅力の素はチョコレート

楠田枝里子さんの現在の魅力を語る上で欠かせないのが、チョコレートへの深い愛情です。

物心ついた頃からチョコレートを食べなかった日はないというほどの愛好家で、高カカオチョコレート・ブームを日本に広めた立役者でもあります。

栄養学の講師だった母親が、唯一自由に買い与えてくれたのがチョコレートだったことが原点です。

カカオの科学的・文化的研究に情熱を注ぎ、食物繊維やミネラル、カカオポリフェノールの抗酸化作用など健康効果を伝え続けています。

「これはすごいと思いました。1人でも多くの人に伝えたい」との思いから、研究家としての活動を本格化させました。

カカオ70パーセント以上を目安に選び、甘さよりカカオの味わいをしっかり感じられるものを好むようになったのも、長年の探求の結果です。

歴史は約5000年前にさかのぼり、中南米では特別な薬として使われていたことにも触れ、ただの甘いお菓子ではない「奇跡の食べ物」として位置づけています。

ショコラティエの世界や産地ごとの味わいの違いにも魅了され、イベントで厳選したブランドを紹介するなど、活動の幅を広げています。

知的で好奇心旺盛な姿勢が、年齢を重ねても色あせない魅力の源となっているのでしょう。

 

チョコレート関連内容
原点母親が唯一自由に与えてくれた
活動高カカオブームをリード、科学的研究
おすすめカカオ70%以上
魅力健康効果、歴史、文化、味わいの多様性

 

仕事への情熱とこれからの姿

『世界まる見え!テレビ特捜部』を19年務めた後も、執筆や講演、チョコレート関連の活動を精力的に続けています。

絵本創作やナスカの地上絵研究支援のための「マリア・ライヘ基金」設立など、好奇心の赴くままに挑戦を重ねてきました。

70歳を迎えた頃には初めて年齢を意識し、感慨深い気持ちになったと語っています。

大学でイタリア語を学びたいという目標や、2061年に109歳でハレー彗星を観測したいという夢も持っています。

子どもの頃から空を眺めるのが好きだった感性は今も健在です。

愛猫マフィンとの運命的な出会いについても触れ、心温まるエピソードを残しています。

見城徹氏との長い交際を経て結婚という形を選ばなかった選択も、自分らしい生き方を貫いた結果と言えるでしょう。

医者の弟との家族の絆を大切にしながら、チョコレートという「奇跡の食べ物」を通じて人々に喜びを伝え続ける姿は、多くの人に刺激を与え続けています。

知的でエレガント、そして何より自分の興味に素直に生きる姿勢こそが、楠田枝里子さんの変わらぬ魅力なのです。