近藤サトなぜ白髪?坂東三津五郎との略奪結婚と不倫離婚!子どもの現在や同期アナエピソード

近藤サトさんのプロフィール

近藤サトさんは1968年7月11日、岐阜県土岐市に生まれました。

近藤家では代々、男児には15画、女児には5画の画数の字を命名する習わしがありました。

そのため古風な響きの「サト」という名前が付けられたそうです。

出身地の土岐市は化石が出る地域として知られ、幼少期の近藤サトさんは父に連れられて近くの里山を散策することが多かったといいます。

父はコンタクトレンズメーカーのサラリーマンで、高度経済成長を支えた世代でした。

平日は忙しく働いていましたが、週末は必ず家族と過ごし、読書感想文の添削も手伝ってくれました。

近藤サトさんはお父さん子で、ニュース番組を見ながら意見を交わすのも父との大切な時間でした。

母も家庭を支え、転勤族の生活の中で柔軟に対応していました。

小学校低学年頃までは親の転勤で九州など各地を転々とし、その後土岐市に戻りました。

公立の学校に通い、のびのびとした田舎暮らしの中で自然や本に親しむ少年時代を送りました。

高校は多治見北高校に進学しました。

大学受験の際、父は「東京に出ろ」と背中を押してくれました。

地元近くの名古屋ではなく、東京の可能性を信じて日本大学芸術学部放送学科に進みました。

学生時代は放送に強い興味を持ち、将来アナウンサーになる夢を膨らませていました。

 

項目詳細
生年月日1968年7月11日
出身地岐阜県土岐市
最終学歴日本大学芸術学部放送学科卒業
身長162cm
血液型B型
主な経歴元フジテレビアナウンサー・フリーアナウンサー・ナレーター

 

 

フジテレビ入社とアナウンサー時代

1991年4月、近藤サトさんはフジテレビにアナウンサーとして入社しました。

同期には中村江里子アナや小泉陽一アナがいました。

入社当初から報道番組を中心に活躍し、『FNN NEWSCOM』や『FNNスーパータイム』週末版などを担当しました。

情報番組のナレーションも多く手がけ、落ち着いた声質と丁寧な語り口で視聴者に親しまれました。

バブル期からバブル崩壊期にかけての華やかなテレビ業界の中で、近藤サトさんは真摯に仕事をこなしていました。

1998年9月にフジテレビを退社し、フリーランスに転身しました。

以降はナレーターとして『真相報道 バンキシャ!』や『有吉反省会』などの人気番組で活躍を続けています。

母校である日本大学芸術学部の特任教授も務め、後進の育成にも力を入れています。

 

同期アナ 中村江里子アナとの絆とエピソード

近藤サトさんと中村江里子アナは1991年入社の同期です。

入社当初から全くタイプの違う2人だと周囲から言われていましたが、互いに強い信頼関係を築いてきました。

中村江里子アナはフランス在住で、近藤サトさんは日本でナレーターや着物活動をしています。

2025年12月には南フランスで再会を果たし、2ショットをSNSで公開しました。

近藤サトさんは「34年前に、ドキドキの“はじめまして” その34年後に、フランスの中世の街で写真を撮りました」と振り返っています。

中村江里子アナも「大好きな仲間、尊敬する同期のサト」と呼び、ずっと日程が合わなかった再会を喜んでいました。

2人はロケで一緒に歩き、昔話に花を咲かせたそうです。

「1991年入社って、なんだかすごい響きだわと思いながら、話しが止まらず」と中村江里子アナは語っています。

全くキャラクターが違うながらも、お互いの距離感が心地よく、35年以上続く絆は多くのファンを温かく見守っています。

 

坂東三津五郎さんとの出会いと馴れ初め

近藤サトさんが坂東三津五郎さんと知り合ったのは、フジテレビ時代の仕事がきっかけでした。

情報番組『ワーズワースの冒険』で近藤サトさんがナレーションを担当し、坂東三津五郎さんが司会を務めていました。

当時坂東三津五郎さんは五代目坂東八十助として活躍していました。

番組を通じて交流が生まれ、互いに気が合う関係になりました。

坂東三津五郎さんは当時、元宝塚歌劇団の寿ひずるさんと結婚し、3人の子どもがいました。

1996年頃に2人の関係が写真週刊誌で報じられ、不倫として大きく取り上げられました。

1997年4月に坂東三津五郎さんが前妻と離婚しました。

その後、1998年11月に近藤サトさんと結婚に至りました。

 

略奪結婚報道と短い結婚生活

近藤サトさんと坂東三津五郎さんの結婚は、当時略奪結婚として世間を騒がせました。

前妻との離婚から約1年半後の再婚で、写真週刊誌などの報道が相次ぎました。

結婚直後から梨園(歌舞伎界)での風当たりも強く、親族や後援者からの厳しい目があったと報じられています。

結婚生活は約1年7ヶ月で、2000年6月に離婚しました。

2人の間には子どもはいませんでした。

離婚後も近藤サトさんは坂東三津五郎さんを「歌舞伎俳優として日本舞踊家として、とても尊敬申し上げていました」とコメントしています。

2015年に坂東三津五郎さんがすい臓がんで亡くなった際も、強いショックを受けたと伝えられています。

 

項目内容
出会いフジテレビ番組『ワーズワースの冒険』での共演
結婚1998年11月
離婚2000年6月(結婚から約1年7ヶ月)
子どもなし
報道の特徴不倫・略奪結婚として大きく取り上げられる

 

再婚と息子の現在

2003年12月、近藤サトさんはイベント企画会社社長の今岡寛和さんと再婚しました。

2004年6月に長男を出産しました。

現在、息子は20代前半となっています。

近藤サトさんは子育てについて「子どもは思った通りに育たない。でも、親は子どもを信じるものだ」という父の教えを大切にしています。

2019年頃のインタビューでは、中学3年生だった息子について「本を読めと言っても読まないものは読まない」と語りつつ、信じて見守る姿勢を強調していました。

親の生きざまそのものが子どもへの教育だと考え、老いていく姿も見せていくことが大切だと話しています。

息子は現在、成人し自立した生活を送っているとみられます。

近藤サトさんは家族との時間を大切にしながら、自身のキャリアを続けています。

 

家族構成詳細
コンタクトレンズメーカー勤務、64歳で他界(肝臓がん)
家庭を支え、転勤族生活を経験
前夫坂東三津五郎さん(1998-2000年)
現夫今岡寛和さん(2003年〜)
子ども長男(2004年出生、20代前半)

 

なぜ白髪を選んだのか 自然体への決意

近藤サトさんが白髪をオープンにしたのは2018年頃です。

20代後半から白髪が目立ち始め、長年染め続けていました。

アナウンサーという仕事柄、「若々しさ」を求められるプレッシャーが強くありました。

アレルギー体質で、毛染め剤による頭皮トラブルも悩みの種でした。

決定的なきっかけは2011年の東日本大震災でした。

防災用品を見直す中で、白髪染めをリュックに詰めようとした自分に疑問を抱きました。

「命が脅かされる状況で白髪染めを優先する自分」にがく然とし、「染めない」という選択肢が生まれました。

「そもそも何で染めるんだっけ?」「社会から緩く強制されている」と気づいたそうです。

白髪をオープンにした当初は「劣化した」「老けた」といった声もありましたが、想定内として受け止めました。

逆に「ありのままの姿でいい」と励まされる声も多く、近藤サトさん自身も心の束縛から解放されたといいます。

今では「白髪にした今が人生最大のモテ期」とユーモアを交えて語るほど、自然体を楽しみています。

白髪を隠さない選択は、年齢にとらわれない生き方を象徴しています。

 

着物愛好家としての活動とYouTube

近藤サトさんは着物好きとして知られています。

メディア出演時も着物姿で登場することが多く、品のある大人の女性らしい装いが人気です。

YouTubeチャンネル「サト読ム。」では着物の魅力や名作の朗読を発信しています。

着物を通じて日本の伝統文化を楽しみ、視聴者と共有しています。

男性用の紋付きはかま姿でイベントに出演した際も話題になりました。

着物は近藤サトさんにとって、自己表現の大切な手段の一つです。

 

現在の活動とこれから

近藤サトさんは現在もナレーター、大学教授、着物インフルエンサーとして多方面で活躍しています。

テレビ番組へのゲスト出演も続け、自身の経験を活かしたトークが好評です。

2026年現在も精力的に活動を続け、ファンからの支持を集めています。

白髪や着物、家族とのエピソードを通じて、多くの女性に「自分らしく生きる」勇気を与えています。

同期アナとの長年の絆や、過去の結婚・離婚の経験も、人生の糧として前向きに語られています。

これからも自然体で、声と存在感で人々を魅了し続けることでしょう。

近藤サトさんの歩みは、年齢や固定観念に縛られず、自分を大切にする生き方の好例です。