段田安則 女優妻との日常や子どもの存在は?早逝した父親と100歳超える母親…トラウマ作品とは?
俳優として舞台やドラマで存在感を発揮し続ける段田安則さん。
シリアスな役からコミカルな演技まで幅広くこなし、近年は紫綬褒章を受章するなど、その実力は高く評価されています。
そんな段田安則さんの私生活や家族について、気になる方も多いのではないでしょうか。
女優である妻との日常、子どもの有無、早逝した父親と100歳を超える母親への想い、そして今も語り継がれるトラウマ作品とは何だったのか。
ここではプロフィールから始まり、これまでの歩みや家族のエピソードを丁寧にまとめていきます。
段田安則さんのプロフィール
段田安則さんは1957年1月24日、京都府京都市山科区(出生当時は東山区)に生まれました。
本名も段田安則で、血液型はA型、身長は170cmです。
所属はシス・カンパニー。
俳優、声優、ナレーター、司会者と多方面で活躍しています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1957年1月24日 |
| 出身地 | 京都府京都市山科区 |
| 血液型 | A型 |
| 身長 | 170cm |
| 職業 | 俳優・声優・ナレーター・司会者 |
| 所属 | シス・カンパニー |
幼少期は京都市で過ごし、父親はバスの運転手からハイヤーの運転手へと転じた人物でした。
母親は手描き友禅の職人として働いており、祖父も着物に絵を描く仕事をしていた家庭環境です。
中学生の頃には母親の仕事を手伝い、反物に色を塗る作業でお小遣いをもらっていたエピソードも残っています。
学生時代は野球部に所属し、プロ野球では阪急ブレーブスの福本豊選手を応援していました。
のちに阪神タイガースのファンとなり、『ふたりっ子』では熱狂的な阪神ファンの役を演じるなど、野球への愛情は仕事にもつながっています。
京都市立花山中学校を卒業後、龍谷大学付属平安高等学校へ進学。
立命館大学文学部日本文学専攻に進みましたが、途中で中退しました。
高校時代から京都会館で文学座や劇団俳優座、劇団民藝などの公演を月に1回は見に行くほど演劇に親しんでいたそうです。
大学を中退して上京したのは22歳のとき。
文学座を目指したものの入れず、青年座の養成所にも残ることができず、唯一募集があった野田秀樹さん主宰の劇団「夢の遊眠社」に入団しました。
1981年に青年座研究所第5期を卒業し、夢の遊眠社の主力俳優として活躍。
1992年の劇団解散まで看板を支える存在として舞台に立ち続けました。
解散後は蜷川幸雄さんや栗山民也さん、三谷幸喜さんら名演出家の作品に出演し、シリアスもコミカルもこなす名バイプレイヤーとして地位を確立していきます。
女優の妻との馴れ初めと日常
段田安則さんの妻は女優の向井薫です。
同じ劇団「夢の遊眠社」の後輩として出会い、26歳の頃に知り合うことになりました。
よくあるケースだと本人が照れながら語るように、劇団内での自然な出会いだったようです。
一緒にいて楽で、空気が合うと感じた相手だったといいます。
ただ、すぐに結婚には至らず、途中で一度離れる空白期間もありました。
紆余曲折を経て、40歳頃に結婚。
1999年頃のことで、長い交際期間を経ての決断でした。
妻は兵庫県神戸市出身で、関西同士という共通点もあり、味の好みなども近いと話しています。
現在は夫婦2人暮らし。
夫婦喧嘩は時々あるものの、怒鳴り合いではなく「冷たい冷戦のような」静かなものだと本人が明かしています。
「言わなくても分かってほしい」と思ってしまうタイプで、それが良くないと自覚しつつも、言葉少なになりがちだそうです。
感謝の言葉も「たまには言う」程度で、日常的に「今日は奇麗だね」といった褒め言葉はほとんど口にしないとのこと。
それでもテレビの電波を借りて「いつもありがとう。本当に感謝しています」と妻へのメッセージを送った場面もあり、穏やかな絆が感じられます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 妻 | 向井薫(女優) |
| 出会い | 26歳頃、同じ劇団の後輩として |
| 結婚 | 40歳頃(1999年頃) |
| 特徴 | 一緒にいて楽、空気が合う |
| 現在の暮らし | 夫婦2人暮らし |
派手なエピソードは少なく、仕事を優先しながらも家庭を大切にする日常が続いているようです。
子どもの存在について
段田安則さんと妻の間に子どもはいません。
本人がインタビューで「子どもがいない」と明確に語っています。
末っ子として育った経験もあり、自分より下の世代との接し方に少し苦手意識を持っていると冗談めかして話したこともあります。
「息子は俳優」といった噂が流れた時期もありましたが、事実無根でした。
夫婦2人で支え合う生活を続けているのが現状です。
早逝した父親への想い
父親は段田安則さんが22歳の大晦日に59歳で亡くなりました。
俳優を志して京都から上京した直後のことでした。
「もうちょっと生きていてくれたら、テレビに出ているところも見せられたのに」と悔やみ、「もっと話しておけばよかった」と振り返っています。
父親は「やりたいことをやればいい」と反対することなく、息子の道を応援してくれた人物でした。
早逝した父親の面影は、今も心の中に残っているようです。
100歳を超える母親との関係
母親は現在103歳で、京都の介護施設で暮らしています。
かつては手描き友禅の職人として活躍し、息子が中学生の頃には仕事を手伝わせてくれるなど、温かい家庭を築いていました。
97歳まで1人暮らしを続け、100歳を迎えた後も施設で過ごしています。
会いに行っても息子だと認識できないことが多く、「どこのおっちゃんが来たんだろう」という表情をされることもあるそうです。
それでも時々「安則」と名前をつぶやくことがあると、姉や兄から聞かされるといいます。
「わからないのはちょっと悲しい気もするけど、逆にラク。
『会いたい』と言われたらかわいそうに思ってしまうし、元気でにこにこしていてくれれば」と、母親への想いを穏やかに語っています。
両親ともに「やりたいことをやればいい」と応援してくれたことが、俳優の道を続ける大きな支えになったようです。
| 家族 | 詳細 |
|---|---|
| 父親 | 59歳で早逝(本人22歳の大晦日) |
| 母親 | 現在103歳、施設で生活 |
| 兄弟 | 姉と兄がいる |
| 子ども | なし |
トラウマ作品とは?
段田安則さんの名前を挙げて今も語られるトラウマ作品のひとつが、1990年に放送された『世にも奇妙な物語』の「ロッカー」です。
主演は織田裕二さんで、段田安則さんも出演しています。
産業スパイの男が研究所で殺人を犯した後、狭いロッカーに閉じ込められ、そのままスクラップ工場へ運ばれていくという内容。
閉所恐怖症を刺激する描写と、ロッカー内から見る世界の不気味さが強く印象に残り、多くの視聴者にトラウマを残したエピソードとして知られています。
シンプルな設定ながら細部の演出が巧みで、「史上最恐」と挙げられることも少なくありません。
段田安則さん自身がこの作品について多くを語る機会は少ないですが、俳優としての初期キャリアの中で、強いインパクトを残した一作となっています。
その後も大河ドラマ『秀吉』や『真田丸』で滝川一益を2度演じ、『光る君へ』では藤原兼家を熱演。
『半沢直樹』の紀本常務や『カムカムエヴリバディ』の父親役など、存在感のある役を次々とこなしてきました。
舞台では『セールスマンの死』や『リア王』などで読売演劇大賞最優秀男優賞を受賞し、芸術選奨文部科学大臣賞、紫綬褒章と栄誉も重ねています。
現在の活躍とこれからの姿
最近では『しあわせな結婚』で松たか子さん演じるネルラの父親・鈴木寛役を務め、物語の鍵を握る存在として注目を集めました。
『再会~Silent Truth~』にも出演し、若い頃の姿を特殊メイクで再現するシーンが話題になるなど、年齢を重ねても挑戦を続けています。
インタビューでは「演劇を始めた頃と何も変わっていない感覚なんです」と語り、若手俳優から憧れられる存在でありながら、謙虚な姿勢を崩しません。
「毎回、作品の中でひとつでいいから、自分が今までしてこなかったことを見つけられればいい」との言葉からは、役者としての真摯な姿勢が伝わってきます。
家族への想いを胸に、舞台と映像の両輪で活躍を続ける段田安則さん。
これからもその繊細で味わい深い演技が、多くの人の心を動かし続けることでしょう。
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